htsoc’s diary

思考のダイビング。

なぜ筋トレをするのか(書評)

今回の本:筋トレをする人は、なぜ仕事で結果を出せるのか 総合法令出版

 

僕が社会人生活で唯一誇れるものが、部活を引退してからも筋トレを継続しているということです。誰かにやらされているのではなく好きでやっているのですが、なぜここまで続けられたのかということから今日はいろいろ考えてみたいと思います。

 

僕は高大と体育会でアメフトをしていたのですが、当然ながらフィジカルがかなり要求されます。なので、筋トレはもともと強制でした。いわゆるウェイトトレーニングです。

自慢ではありませんが、僕は身体能力が低いほうだったので、1回生当時は冗談抜きで筋力数値はチーム最低クラスでした。そんな選手が試合出場できるはずがなく、かといって筋トレを真剣にやるわけではなく、ひたすら腐っていたように思います。

 

ですが、2回生のある時から筋トレにハマりだしました。なぜその時期にハマったのかは明確には覚えていません。急に筋力数値が伸びていったのです。確かに人より回数をこなし、体調や体重に気を遣ったり自分で工夫してはいましたが、今思えば、少しづつ自分で目標を決めてこれだけは絶対やる、という目標設定と根性論だけは持っていたと思います。技術論ではなく精神論に近いです。

 

振り返れば、筋トレから多くを得ました。継続力や根性論、フィジカルで負けないという余裕・自信だけでなく、食事・睡眠も含めた健康管理方法も身に着けました。また、それまでコンプレックスでしかなかった見た目も多少変わります。初対面でほぼ100%「スポーツやってましたよね」って言われます。話題になりますし、信頼してもらいやすくなります。

 

ですが、一番は「地味なトレーニングが一番大切」ということを学んだことに他なりません。僕は地味で根暗な人間で、その場凌ぎの器用な振る舞いや派手なプレーができるわけではありません。ですが、他人も認めざるを得ないくらい努力していれば誰かが認めてくれるものですし、実際そうして培ったものは本当に実力が必要な時に発揮されます。

 

そんなこんなで、僕は一応大学で活躍(?)できました。ですが今の仕事はそれができていません。もちろん自分の努力が足りないということもあるのですが、仕事上「コツコツとした地味な努力が一切認められない」というやりきれなさがあります。企業である以上実績すなわち利益が第一で、上席になればなるほどそれを重視するという気持ちもわかります(責任ある立場として焦るから、自分がそうして出世してきたから)。ですが、僕のようなただの地味人間はこの先ずっと不条理の感の残る割り切った社会人生活を送るのでしょうか。いや、そうはさせません。


 筋トレは、初心の自分を思い出す習慣と思っています。ただ、そこまで大袈裟に考えなくても、ジムでしっかり体を追い込んだ後は精神的にも肉体的にも爽快ですよ。オススメです。


【ひとこと】書評を書ききれませんでした。大まかな主旨は上と同じです。筋トレをしている人とはかなり分かり合える気がします。